「どうか、天を裂いて降ってください。」(イザヤ63:19)
本日は教会歴の第一の週・降臨節第一主日、その聖餐式で読まれる旧約聖書の第一声が冒頭に記したイザヤ書です。
「どうか、天を裂いて降ってください。」
なんと簡潔で、直截な古代人の神への呼びかけでしょうか。信仰というものが人間と神様の対話なのだとしたら、信仰の原点である神様から人間への呼び掛けに答えて、神様に向けて語りかけるイザヤの言葉はまさしく信仰の原点が示されているような衝撃を覚えます。しかし本日のイザヤ書をよく読むとイザヤの時代に既に、「わたしたちは皆、汚れた物となり…あなたの御名を呼ぶ者はなくなり、奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。」と預言者は嘆いております。
つまり預言者とは、時には同時代の民衆に突出しかけ離れて先見性や批判性を持ちますが、同時にその仲間たちの中に住み、その悩み苦しみを共に生きる者であったと言えます。確かに民と深く共生していなければ、鮮烈な神への叫びが生まれないのでしょう。イザヤの叫びを再読します。
「どうか、天を裂いて降ってください。」(司祭 パウロ佐々木道人)