「わたしの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。」(Ⅱぺトロ 3;15ā)
洗礼者ヨハネは、荒れ野で預言者イザヤが預言した言葉を用いて「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」と叫びます。それと言うのも、人びとは「主の日」すなわち、救いと裁きの日の到来が遅すぎる、と勝手に考えて平穏無事の日々をよしとして生活していたからです。悔い改めて、神に立ち帰らなければならない自分たちの姿を見失っていました。
ヨハネはこの現実を「荒れ野」と受け止め、そこにあって人びとに迫ります。今日の使徒書でペトロも救いの時の遅れ(と人びとは受け止めました)は、「神の忍耐」があってのことと力を込めて語ります。わたしたちの日々は、この「神の忍耐」に支えられています。この「神の忍耐」が、「その恵みと知識において、成長しなさい。」とわたしたちに求めら
れていることを心にとめたいものです。(司祭 バルナバ 関 正勝)