「(あなたがたは)『教師』と呼ばれてもいけない。あなた方の教師はキリスト一人だけである。」(マタイ23:11)
小中高のころ反抗的で生意気だった私は先生に目をつけられ、叱られてばかりいたので「先生」に関する良い思い出があまりない。その頃のことを思い出しても灰色にかすんでいて記憶に色彩がついてこない。
成人して親しい先輩に、当時を振り返り、「わたしは先生に恵まれなかったなぁ」と何気なくつぶやいたところ、彼は即座に強い調子で「先生はキリスト一人でよいのだ」と断言した。まるで答えを用意していたかの先輩の言葉に当時、びっくりした。しかしその時初めて、先輩はクリスチャンなのだとはっきり意識させられたのを覚えている。それからの私はキリスト・イエスという「先生」に会いたい、その肉声を聞きたい、そうすれば私の長年の悩みは解消するのだという予感を抱いた。そしてその先輩が名親(ゴッド・ファーザー)になってくれて、洗礼を受けたのはその出来事半年後のことであった。(司祭 パウロ 佐々木道人)