「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」(マタイ25:40)
キリスト教は最初から、罪人である人間はが救われ得るのは、自分の偉業や自分の働きによるのではなくて、信仰によってのみの話だ、と教えてきた。しかも、その信仰そのものは神から与えられる賜物でもある。だから自慢することなく、最初から終わりまですべてが神の恵みだと認めてありがたみを知る。では、イエスさまの羊と山羊のたとえ話はどうなるのか。イエスさまへの信仰によって救われた人、つまり「正しい人たち」とされた羊たちは、この「恩返し」を原動力にして当然周りの人に仕える。そして信仰を持たない人たち、恩知らずの山羊たちは最期まで神の祝福と無関係でいるのだ、とイエスさま。 (司祭 ケビン・シーバー)