「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」(詩編118:22)

長が旅に出るぶどう園の主人は、何人かの働き人に託して出発します。働き人の労働とその収穫に期待して出かけます。主人のぶどう園に対する深い愛情を読み取ることが出来ます。主人は「垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」て農夫たちに貸し与えています。主人のぶどう園への大きな愛情は、今日のイザヤ書5・1以下にも一層印象深く語られています。収穫の時が近づいたので主人は「僕たち」を農夫の所に送りますが、全く無責任な応答でした。ついには自分の息子を送りますが、「相続財産」を自分のものにしようとして、彼を殺害してしまいます。この譬えを聞く者たち、ことに祭司長やファリサイ派の人びとは「自分たちのことが語られていることに気づかされ」ます。そして、彼らは譬えの内容を実行に移そうとするのでした。イエスの十字架への道行きが始まります。
ぶどう畑は、わたしたちの現実の社会、そこでの働きの果実が求められておりましょう。(司祭 バルナバ 関 正勝)