「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」(マタイ20:16)

今日の福音は「ぶどう園の労働者」の譬えです。ぶどう園の主人は働き場がなくて広場に立ちつくす人びとを朝から夕方まで繰り返し出て行って働き場に送り出します。いざ、賃金を支払う段になって労働者の間に不平が沸騰します。働いた時間の長短に関係なく同一賃金だったからです。そこで主人は上に引用した言葉を語って、労働時間に見合う賃金を要求する労働者たちを諫められます。現代社会の労働観それは「稼ぎ」に他ならなくなっている現実(また時は金なり?)からは、なんと不合理、いや「逆説」であることでしょうか。
しかし、この「逆説」こそが、現代社会の一般的な労働観に見られる価値観(説)に縛りつけられて自由を失っているわたしたちへの福音なのではないでしょうか?わたしたち一人ひとりの働きによる「出来高」は、神の「寛大さ」(岩波訳)が計って下さる、との「逆説」(福音)を生きる者でありたい。(司祭 バルナバ 関 正勝)