「慈しみ深い神よ、あなたはみ恵みを常に私達に先立たせ、また伴わせてくださいます。」<聖霊降臨後第13主日特祷>

私達は「なんでこんなことが」とよく嘆きまた人生の旅路で、時にはあってはならないことに遭遇し絶望させられている。そういう困難をかかえながら、今日の特祷の言葉のように、「神の恵みの先行性」を信じることが出来るのであろうか。しかし教会生活を振り返ると、悲痛な嘆きを吐露した人や、あってはならないことに巻き込まれ叫びを上げた人こそが、「神の恵みの告白者」になっているのも真実である。本日のマタイ福音書で受難予告をしたイエスに、ペトロが「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」といさめると、イエスはペトロにサタン、引き下がれ」と最大限の叱責を投げかける。つまりペトロは私達と同様に「家内安全」という「無事を願う」常識に依拠していた。イエスはそのペトロに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさい。」と告げた。イエスの教えは、「無事を約束する」ものというより、「困難に向き合い、それを突き抜けて生き抜く」ことを勧める。正に「十字架を通しての復活」の福音である。その言葉に従い道を歩む者にこそ、「神の恵みの先行性」というそれこそ神の秘密が逆説的に解き明かされるのであろう。(司祭パウロ佐々木道人)