「イエスが、『子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない』とお答えになると、女は言った。『主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。』」(マタイによる福音書15:26-27)

このイエスさまと女とのやりとりは2重の意味を含んだやりとりになっているように思われる。女が娘を、躾ける意味か何かで、娘のパンを取って犬にやってしまったことがあった。女にとってはたいした意味を持たないこの行為は、娘にとっては、お母さんが自分を犬ほども愛していないことの証拠のように思ってしまっているのだというイエスさまの指摘である。(悪霊は、娘さんのそういう絶望的な心に付け入ってきた。)女は自分のした間違いを認めて、「主よ、ごもっともです。」と答えている。もう一つの意味は、イスラエルの人々(子供)に与えるべき癒しの業を、カナン人(小犬)にやるのはいけない、とのイエスさまご自身の業についてである。それに対しては、小犬も「食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」と、イエスさまが神様から遣わされた方であるならば、民族主義に囚われたままではいませんよね?という応酬をこの女の人は見事にしている。イエスさまは、この女の人が素直に自分の間違いを認めて、それを改めることと、小犬のように形容されても、小犬でさえも神様に養われていることへの信仰に立脚して言い表したことをも含めて、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。」とおっしゃったのではないだろうか。(司祭シモン・ペテロ上田憲明)