「モーセとエリヤが、栄光に包まれ現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について話していた。」(ルカ9:23~31)

「主イエスが受難の前に、弟子を連れて山に登り祈っておられるうちに顔の様子が変わり服は真っ白に輝いた。」というのが「変容貌」の出来事。特祷は「栄光の王の麗しいみ姿」と、王なる神の栄光をイエスが示したとする。しかし「イエスは本来神の子、その隠れた神性がこの時現れた」という見解は変容貌の焦点をぼかす。神の子イエスが十字架の苦しみを受けること自体が栄光だとする受肉の神秘を無にするからだ。本日の福音書で旧約預言者中、神と民のため最も苦しみ働いた苦労人モーセとエリヤが登場する。この両人こそ主と受難を語り合うに最もふさわしい者。イエスが彼らとエルサレムで遂げようとしている出来事を語り合う時、栄光が現れる。栄光は受難を通して発現するのだ。山上のイエスの「顔の様子が変わる」程切迫した祈りが光を発した。エルサレムに向かう不退転の決意が、イエス身の内から発光するほどの激しい祈りをささげさせた。これが変容貌の秘密なのだろう。(司祭パウロ佐々木道人)