「主、主、憐れみ深く、恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代も及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。」
<出エジプト記34:6~7>
本日の旧約は出エジプト記の十戒の石板の二度目の授受がシナイ山でモーセに対してなされる場面。一枚目の時は、シナイ山に登ったモーセを民が待ちきれず、その留守に金の子牛を造り拝んだ。それを神が怒り、モーセが命がけでこれを執り成し、二枚目の十戒の石板の再授受が実現した。この時主なる神はモーセの前を通り過ぎながら、御自身の自己開示の言葉を宣言した。旧約の神は父性的な厳しい存在と思われるが、反面、不肖の子供を涙してどこまでも追跡し、赦し連れ戻そうとする、母性に満ちた面があることも見逃せない。厳しく正義を問う父なる神は、同時に考え直して赦す神でもある。この事への言及は旧約ヨナ書4:2「災いをくだそうとしても思い直される神」や、ルカ福音書15章の放蕩息子を抱きしめ、赦し迎える父親像に見てとれる。本日は、「主イエス命名の日」なのだが、「イエス」という「神は救い」の意味は、正義のため怒り審くと共に、それでも赦し再出発させるために命を削りながらも付き合ってくださる、み子主イエス・キリストのことなのだろう。

司祭パウロ 佐々木道人